ハーメルンの笛吹き男 ― 2016/06/12
阿部謹也「ハーメルンの笛吹き男(第1部・第2部)」『阿部謹也著作集①』(筑摩書房、1999年)
あなたは、グリム童話の「ハーメルンの笛吹き男」を聞いたことがあるだろうか?
1284年、ドイツのハーメルンという街に、様々な色の混じった上着を着た不思議な男が現れた。男は自ら「鼠捕り男」と称し、お金を払えばこの街の鼠を退治してみせると言う。市民たちはこの男と取引を結び、報酬を支払うと約束した。鼠捕り男が笛を取り出して吹き鳴らすと、鼠どもが走り出てきて男の周りに群がる。男は鼠を引き連れて街を出て、ヴェーゼル河で鼠をみな溺れさせた。
さて鼠の災難を逃れた後、市民たちは約束したことを後悔し、口実をつけて支払を拒絶。男は激しく怒ってハーメルンを去って行った。6月26日の「ヨハネとパウロの日」に鼠捕り男が再び現れた。男が笛を吹き鳴らすと、今度は4歳以上の少年少女が男のところに大勢集まった。子どもたちは男の後をついていき、山に着くとその男もろとも消え失せてしまった。
子どもたちの失踪が単なる「おとぎ話」ではなく実際にあった話だとすればどうだろうか? 阿部謹也氏のこの研究によれば、確かに1284年の6月26日に130人の子どもたちがハーメルンの街から出て行ったのである(複数の中世の文書から確認できる)。悲しみにくれた街の人たちは、この行方不明の日を起点にして年月を数えていたという。
1284年というと日本は鎌倉時代、元寇の頃。武士の支配が強まる日本の中世に対して、ヨーロッパの中世はキリスト教の聖職者と領主が支配する時代。交通の要衝であるハーメルンでは穀物が倉庫に蓄えられ、確かにそれを食い荒らす鼠の害はひどいものだった。
本書では、子どもたちが笛吹きによって連れ去られた話に、鼠捕り男が鼠をとった話が後から付け加えられたことが述べられている。ハーメルン市の参事会が笛吹き男に支払をしぶったから子どもたちが連れ去られたという理由づけも、一部の大商人たちが仕切る参事会に対する庶民の不満が投影されたものだと指摘する。
いつの時代も、権力者たちのわがままによって苦労をしたり被害を受けたりするのは庶民や子どもたちなど弱い者たちなのだという歴史的な経験を投影した物語になっている。
阿部謹也氏のこの研究が素晴らしいのは、この物語の背景を語ることを通じて、中世ヨーロッパのあり様を目の前で起こっている出来事かのように再現してくれたことだ。ハーメルン市参事会における大商人たちとツンフト(同業者組合)との軋轢、キリスト教会による支配(多くの年中行事(練り歩き)や税などの負担)とゲルマン民族が古来より持つ文化とのせめぎ合い、支配する領主と支配される庶民・下層民、そこから排除された「笛吹き」などの遍歴芸人や放浪学生、ユダヤ人など「部外者」への差別、子どもが成人になる前に食料不足や病気で亡くなることが多い食・衛生環境(ペストはもう少し後の時代だが飢饉が頻繁に起こっていた)、そして東ドイツへの植民など、学校の世界史で習った「三圃制」など農村中心のヨーロッパ中世の説明とは大きく違ったダイナミックな中世の姿が語られている。
欧米で何かあると民衆がデモ行進するのも、祭日のたびに練り歩きをした宗教的伝統と不可分ではないだろう。そしてハロウィンで子どもたちが仮装するのも、キリスト教以前からヨーロッパであった、お祭りのときに仮装したり大騒ぎしたりすること無関係ではないと思う。また、いまでも「6月の花嫁」(ジューン・ブライド)というように結婚式を6月に挙げる例が欧米で多いのも、キリスト教以前にあった夏至のお祭りという伝統につながっている。この日にはドイツなどゲルマン民族の多くの町や村で火が燃やされ、老若男女がみな集まって歌い踊り、男子が成人する日でもあり、結婚式がおこなわれる日でもあったのだ。(日本の神社でも6月の終わりに「茅の輪くぐり」を行うところもある)
夏至の日6月24日に「ヨハネ祭」があり、26日は「ヨハネとパウロの日」である。そして子どもたち130人はこの6月26日に確かに行方不明になったのである。
過去の出来事が、単なる過去の話ではなくて現在にもつながることだと思うと面白い。いつの世も人間は同じように笑い、騒ぎ、差別し、苦しみ、だまされるのである。科学技術は進歩しても、人間の中身はそう変わらないように思えてならない。
あなたは、グリム童話の「ハーメルンの笛吹き男」を聞いたことがあるだろうか?
1284年、ドイツのハーメルンという街に、様々な色の混じった上着を着た不思議な男が現れた。男は自ら「鼠捕り男」と称し、お金を払えばこの街の鼠を退治してみせると言う。市民たちはこの男と取引を結び、報酬を支払うと約束した。鼠捕り男が笛を取り出して吹き鳴らすと、鼠どもが走り出てきて男の周りに群がる。男は鼠を引き連れて街を出て、ヴェーゼル河で鼠をみな溺れさせた。
さて鼠の災難を逃れた後、市民たちは約束したことを後悔し、口実をつけて支払を拒絶。男は激しく怒ってハーメルンを去って行った。6月26日の「ヨハネとパウロの日」に鼠捕り男が再び現れた。男が笛を吹き鳴らすと、今度は4歳以上の少年少女が男のところに大勢集まった。子どもたちは男の後をついていき、山に着くとその男もろとも消え失せてしまった。
子どもたちの失踪が単なる「おとぎ話」ではなく実際にあった話だとすればどうだろうか? 阿部謹也氏のこの研究によれば、確かに1284年の6月26日に130人の子どもたちがハーメルンの街から出て行ったのである(複数の中世の文書から確認できる)。悲しみにくれた街の人たちは、この行方不明の日を起点にして年月を数えていたという。
1284年というと日本は鎌倉時代、元寇の頃。武士の支配が強まる日本の中世に対して、ヨーロッパの中世はキリスト教の聖職者と領主が支配する時代。交通の要衝であるハーメルンでは穀物が倉庫に蓄えられ、確かにそれを食い荒らす鼠の害はひどいものだった。
本書では、子どもたちが笛吹きによって連れ去られた話に、鼠捕り男が鼠をとった話が後から付け加えられたことが述べられている。ハーメルン市の参事会が笛吹き男に支払をしぶったから子どもたちが連れ去られたという理由づけも、一部の大商人たちが仕切る参事会に対する庶民の不満が投影されたものだと指摘する。
いつの時代も、権力者たちのわがままによって苦労をしたり被害を受けたりするのは庶民や子どもたちなど弱い者たちなのだという歴史的な経験を投影した物語になっている。
阿部謹也氏のこの研究が素晴らしいのは、この物語の背景を語ることを通じて、中世ヨーロッパのあり様を目の前で起こっている出来事かのように再現してくれたことだ。ハーメルン市参事会における大商人たちとツンフト(同業者組合)との軋轢、キリスト教会による支配(多くの年中行事(練り歩き)や税などの負担)とゲルマン民族が古来より持つ文化とのせめぎ合い、支配する領主と支配される庶民・下層民、そこから排除された「笛吹き」などの遍歴芸人や放浪学生、ユダヤ人など「部外者」への差別、子どもが成人になる前に食料不足や病気で亡くなることが多い食・衛生環境(ペストはもう少し後の時代だが飢饉が頻繁に起こっていた)、そして東ドイツへの植民など、学校の世界史で習った「三圃制」など農村中心のヨーロッパ中世の説明とは大きく違ったダイナミックな中世の姿が語られている。
欧米で何かあると民衆がデモ行進するのも、祭日のたびに練り歩きをした宗教的伝統と不可分ではないだろう。そしてハロウィンで子どもたちが仮装するのも、キリスト教以前からヨーロッパであった、お祭りのときに仮装したり大騒ぎしたりすること無関係ではないと思う。また、いまでも「6月の花嫁」(ジューン・ブライド)というように結婚式を6月に挙げる例が欧米で多いのも、キリスト教以前にあった夏至のお祭りという伝統につながっている。この日にはドイツなどゲルマン民族の多くの町や村で火が燃やされ、老若男女がみな集まって歌い踊り、男子が成人する日でもあり、結婚式がおこなわれる日でもあったのだ。(日本の神社でも6月の終わりに「茅の輪くぐり」を行うところもある)
夏至の日6月24日に「ヨハネ祭」があり、26日は「ヨハネとパウロの日」である。そして子どもたち130人はこの6月26日に確かに行方不明になったのである。
過去の出来事が、単なる過去の話ではなくて現在にもつながることだと思うと面白い。いつの世も人間は同じように笑い、騒ぎ、差別し、苦しみ、だまされるのである。科学技術は進歩しても、人間の中身はそう変わらないように思えてならない。
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