村上春樹『ふしぎな図書館』 ― 2010/04/01
村上春樹『ふしぎな図書館』(講談社文庫、2008年)
主人公の「ぼく」は、いつもいく市立図書館に本を借りに行った。すると、いつもとはちがう部屋に案内されて、ここで不思議な老人に本の貸しだしを受けることとなる。本を持って帰ろうとすると、老人に、持ち出し禁止だからここで読みなさいと言われる。読むならついてきなさいと老人に言われて、「ぼく」は地下の迷路を通り「読書室」に連れていかれる。その読書室は実は…。
読書室で「ぼく」は村上春樹の本によく出てくる羊男に会うのだが、村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』に出てくる羊男とくらべて優しいけど、ひ弱だ。この老人に柳の枝でたたかれると羊男は老人の言う通りにしなければならなくなってしまうのだ。『ダンス・ダンス・ダンス』の羊男は暗闇に現れて主人公に命令する、威厳のある存在なのだが、『ふしぎな図書館』の羊男は主人公を迷路から連れ出してくれる優しい人物である。佐々木マキの挿絵に描かれた羊男も子供からみても親しみやすい姿でかかれている。
気になったところがひとつ。羊男のせりふに「知識のつまった脳みそっていうのは、とてもおいしいんだよ。とろっとしてるんだ。つぶつぶなんかもあるしさ」というのがある。知識をいれたり考えたりする理性の働きは脳みその変化を本当にもたらすのだろうか? 専門家に聞いてみたいものだ。
主人公の「ぼく」は、いつもいく市立図書館に本を借りに行った。すると、いつもとはちがう部屋に案内されて、ここで不思議な老人に本の貸しだしを受けることとなる。本を持って帰ろうとすると、老人に、持ち出し禁止だからここで読みなさいと言われる。読むならついてきなさいと老人に言われて、「ぼく」は地下の迷路を通り「読書室」に連れていかれる。その読書室は実は…。
読書室で「ぼく」は村上春樹の本によく出てくる羊男に会うのだが、村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』に出てくる羊男とくらべて優しいけど、ひ弱だ。この老人に柳の枝でたたかれると羊男は老人の言う通りにしなければならなくなってしまうのだ。『ダンス・ダンス・ダンス』の羊男は暗闇に現れて主人公に命令する、威厳のある存在なのだが、『ふしぎな図書館』の羊男は主人公を迷路から連れ出してくれる優しい人物である。佐々木マキの挿絵に描かれた羊男も子供からみても親しみやすい姿でかかれている。
気になったところがひとつ。羊男のせりふに「知識のつまった脳みそっていうのは、とてもおいしいんだよ。とろっとしてるんだ。つぶつぶなんかもあるしさ」というのがある。知識をいれたり考えたりする理性の働きは脳みその変化を本当にもたらすのだろうか? 専門家に聞いてみたいものだ。
森見登美彦『四畳半神話大系』 ― 2010/04/10
森見登美彦『四畳半神話大系』(角川文庫、2008年)
大学など上の学校に進学した時に、サークルやクラブといった課外活動で何をするか、これは誰しも考えどころだ。私の場合も複数あるサークル活動から何を選ぶか、迷った。学生観光連盟という学生観光ガイドのサークルと、合唱団、体育会グライダー部の3つである。
本書の主人公は4つの選択肢から1つを選ぶのだが、私は最初からひとつを選びとる気はなく、先の3つをかけ持ちすることとした。本書では主人公が4つの選択肢それぞれを選んでどうなったか4話に分けて書いているが、いずれのみちを選んでいても、「小津」という悪友に生活をかきまわされ、下宿の上の階の「師匠」や歯科衛生士の「羽貫さん」、聡明な「明石さん」といった面々が登場する。方程式の解を場合分けして書くようにAの場合、Bの場合、Cの場合と分けて話を書いているのだが、場合分けしても解が似たものになるという不思議な世界である。
私の場合を振り返ってみれば、3つあった選択肢を1回生の夏に1つにしぼるにあたり、別のみちを選んでいたら、また別の人物に出会い別の人生になったのだろうなと思う。3つの中から合唱団を選んで、その役職につくこととなり、様々な経験をするが、そこで得た「濃い」経験は他の世界では得られなかっただろうと思う。他の選択肢を選んでも、多分強烈な人間や奇人変人に出会ったとは思うが、かつて私が歩んだ生活とは全く違う「キャンパスライフ」があっただろう。
本書では「最終話」ですべてが明かされる。筒井康隆の本にもあるが、「多元世界」みたいな設定である。自分が生きている世界の隣には、自分の生きている世界とは少しだけ違う世界があって、その隣にも少しだけ違う世界があって…という設定である。佐藤哲也氏による解説も秀逸だと思った。
大学など上の学校に進学した時に、サークルやクラブといった課外活動で何をするか、これは誰しも考えどころだ。私の場合も複数あるサークル活動から何を選ぶか、迷った。学生観光連盟という学生観光ガイドのサークルと、合唱団、体育会グライダー部の3つである。
本書の主人公は4つの選択肢から1つを選ぶのだが、私は最初からひとつを選びとる気はなく、先の3つをかけ持ちすることとした。本書では主人公が4つの選択肢それぞれを選んでどうなったか4話に分けて書いているが、いずれのみちを選んでいても、「小津」という悪友に生活をかきまわされ、下宿の上の階の「師匠」や歯科衛生士の「羽貫さん」、聡明な「明石さん」といった面々が登場する。方程式の解を場合分けして書くようにAの場合、Bの場合、Cの場合と分けて話を書いているのだが、場合分けしても解が似たものになるという不思議な世界である。
私の場合を振り返ってみれば、3つあった選択肢を1回生の夏に1つにしぼるにあたり、別のみちを選んでいたら、また別の人物に出会い別の人生になったのだろうなと思う。3つの中から合唱団を選んで、その役職につくこととなり、様々な経験をするが、そこで得た「濃い」経験は他の世界では得られなかっただろうと思う。他の選択肢を選んでも、多分強烈な人間や奇人変人に出会ったとは思うが、かつて私が歩んだ生活とは全く違う「キャンパスライフ」があっただろう。
本書では「最終話」ですべてが明かされる。筒井康隆の本にもあるが、「多元世界」みたいな設定である。自分が生きている世界の隣には、自分の生きている世界とは少しだけ違う世界があって、その隣にも少しだけ違う世界があって…という設定である。佐藤哲也氏による解説も秀逸だと思った。
ガラパコス化する日本 ― 2010/04/12
吉川尚宏『ガラパコス化する日本』(講談社現代新書、2010年)
わが国で独自に進化したり適合したがゆえに他国には通用しなくなる問題を著者は「カラパコス化」として、その現状と問題点、対策について論じている。わが国の企業や政府、国民のあり方がそれぞれ「脱ガラパコス化」しないと発展できなくなると警鐘を鳴らす本である。
日本企業の製品の「ガラパコス化」が知られているものとして、まず携帯電話がある(32-34ページ)。日本独自の規格で進化したため、海外に持っていくと通じなくなって困った人は結構いることだろう。同様の問題が地上デジタル放送、J-Debitカード、非接触ICカード、おサイフケータイ、カーナビゲーションなど情報通信機器だけでなく、大学や病院、金融など多方面にわたっている(第1章ガラパコス化する日本)。
また日本人自体も、海外旅行に行く若者が減り、海外留学に行く若者も減るなどガラパコス化が見られると著者は指摘する(第1章)。
「第3章脱ガラパコス化への道」にて著者はその対策を述べている。日本企業の脱ガラパコス化のためには(1)リーダーシップ、(2)形式知化、(3)ゲームのルールをつくる、ゲームのルールをかえる、(4)水平分業、モジュール化、(5)新興国における新しい生態系の構築、(6)ハイブリッド化が必要と論じている。また日本の国の脱ガラパコス化にはゲームのルールをつくる、ゲームのルールをかえることと出島化を主張している。
この出島化の考えが私にはとても興味深かった。地方分権を徹底しておしすすめて、その地域が大胆な開国政策を進め、外資の導入や規制緩和、税制改革を実施する。著者はスコットランドを例に述べていたが、同様の取り組みを一定の広さがある地域で始めれば、わが国もガラパコス化から逃れるための一歩が踏み出せると考えた。
わが国で独自に進化したり適合したがゆえに他国には通用しなくなる問題を著者は「カラパコス化」として、その現状と問題点、対策について論じている。わが国の企業や政府、国民のあり方がそれぞれ「脱ガラパコス化」しないと発展できなくなると警鐘を鳴らす本である。
日本企業の製品の「ガラパコス化」が知られているものとして、まず携帯電話がある(32-34ページ)。日本独自の規格で進化したため、海外に持っていくと通じなくなって困った人は結構いることだろう。同様の問題が地上デジタル放送、J-Debitカード、非接触ICカード、おサイフケータイ、カーナビゲーションなど情報通信機器だけでなく、大学や病院、金融など多方面にわたっている(第1章ガラパコス化する日本)。
また日本人自体も、海外旅行に行く若者が減り、海外留学に行く若者も減るなどガラパコス化が見られると著者は指摘する(第1章)。
「第3章脱ガラパコス化への道」にて著者はその対策を述べている。日本企業の脱ガラパコス化のためには(1)リーダーシップ、(2)形式知化、(3)ゲームのルールをつくる、ゲームのルールをかえる、(4)水平分業、モジュール化、(5)新興国における新しい生態系の構築、(6)ハイブリッド化が必要と論じている。また日本の国の脱ガラパコス化にはゲームのルールをつくる、ゲームのルールをかえることと出島化を主張している。
この出島化の考えが私にはとても興味深かった。地方分権を徹底しておしすすめて、その地域が大胆な開国政策を進め、外資の導入や規制緩和、税制改革を実施する。著者はスコットランドを例に述べていたが、同様の取り組みを一定の広さがある地域で始めれば、わが国もガラパコス化から逃れるための一歩が踏み出せると考えた。
村上朝日堂はいかにして鍛えられたか ― 2010/04/20
村上春樹『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』(新潮文庫、1999年)
村上春樹の他のエッセーとは違い、楽しい話題の多いエッセー集。マンションやラブホテルの名前でユニークなものを集めた話や空中浮遊の夢の話、すっぱだかで家事する主婦の話など。
ただ時に真面目な話、深刻な話も書いてある。新聞休刊日がどの全国紙も同じ日である問題(「新聞について、情報について、いろいろ」48-50ページ)、部落差別のこと(「僕らの世代はそれほどひどい世代じゃなかったと思う」306-310ページ)、出版物の再販制の問題(「日本はいろいろと高いですね」186-189ページ)など。
体罰について書かれた文章も印象に残っている(「体罰について」25-29ページ)。「体罰が熱心さのひとつの方法論として独り歩きを始めた時点から、それは世間的権威に裏付けされたただの卑小な暴力に変わってしまうのだ。それはなにも学校だけのことではない。僕はこの日本の社会でそのような卑小な暴力性をいやというほど目にしてきたし、できることならもう二度と見たくないと思っている」(29ページ)と著者は述べる。確かにわが国には、世間的権威とかかわりながら一方的な思いが声高に主張され、そして日々実行されるというのは著者の言うように他にもある。わが国にはどうして、「反論」を許さない一方的な押し付けがいろいろとあるのだろうと村上春樹に触発されて思った。
村上春樹の他のエッセーとは違い、楽しい話題の多いエッセー集。マンションやラブホテルの名前でユニークなものを集めた話や空中浮遊の夢の話、すっぱだかで家事する主婦の話など。
ただ時に真面目な話、深刻な話も書いてある。新聞休刊日がどの全国紙も同じ日である問題(「新聞について、情報について、いろいろ」48-50ページ)、部落差別のこと(「僕らの世代はそれほどひどい世代じゃなかったと思う」306-310ページ)、出版物の再販制の問題(「日本はいろいろと高いですね」186-189ページ)など。
体罰について書かれた文章も印象に残っている(「体罰について」25-29ページ)。「体罰が熱心さのひとつの方法論として独り歩きを始めた時点から、それは世間的権威に裏付けされたただの卑小な暴力に変わってしまうのだ。それはなにも学校だけのことではない。僕はこの日本の社会でそのような卑小な暴力性をいやというほど目にしてきたし、できることならもう二度と見たくないと思っている」(29ページ)と著者は述べる。確かにわが国には、世間的権威とかかわりながら一方的な思いが声高に主張され、そして日々実行されるというのは著者の言うように他にもある。わが国にはどうして、「反論」を許さない一方的な押し付けがいろいろとあるのだろうと村上春樹に触発されて思った。
『夜のくもざる』 ― 2010/04/25
村上春樹『夜のくもざる』(新潮文庫、1998年)
村上春樹の超短編小説集。この超短編の中で「渡辺昇」シリーズが面白かった。「渡辺昇」は排水パイプの修理のあと鉛筆削りの話をしだす。結局「私」は鉄腕アトムのシールつきの古い鉛筆削り(1963年型マックスPSD)を「渡辺昇」に渡して、その代わりに「私」は新品の鉛筆削りを手にいれる(「鉛筆削り(あるいは幸運としての渡辺昇①)」)。
次に「渡辺昇」が登場したのは夜の6時半だった。今度は工事のお願いもしていないので何だろうかと「私」が思うと「実はお宅に旧型のタイム・マシーンがあるってうかがったもんで、もしよろしければ新型と交換していただければと…まあ、そう思いまして。」と「渡辺昇」。「私」は茶目っ気たっぷりに四畳半のこたつを見せて「ほら、タイム・マシーン」と言うと、「渡辺昇」は笑わずに「こりゃ旦那、逸品ですよ。」ため息をつきながら「すごい。昭和46年型ナショナルの『ほかほか』ですよ。」結局、「渡辺昇」はそのこたつを持って帰り、代わりに「私」は新品の電気ごたつ(あるいはタイム・マシーン)を手に入れた。「私」がその後こともなげに再びこたつに入ってみかんを食べるのが面白い(「タイム・マシーン(あるいは幸運としての渡辺昇②)」)。
村上春樹の超短編小説集。この超短編の中で「渡辺昇」シリーズが面白かった。「渡辺昇」は排水パイプの修理のあと鉛筆削りの話をしだす。結局「私」は鉄腕アトムのシールつきの古い鉛筆削り(1963年型マックスPSD)を「渡辺昇」に渡して、その代わりに「私」は新品の鉛筆削りを手にいれる(「鉛筆削り(あるいは幸運としての渡辺昇①)」)。
次に「渡辺昇」が登場したのは夜の6時半だった。今度は工事のお願いもしていないので何だろうかと「私」が思うと「実はお宅に旧型のタイム・マシーンがあるってうかがったもんで、もしよろしければ新型と交換していただければと…まあ、そう思いまして。」と「渡辺昇」。「私」は茶目っ気たっぷりに四畳半のこたつを見せて「ほら、タイム・マシーン」と言うと、「渡辺昇」は笑わずに「こりゃ旦那、逸品ですよ。」ため息をつきながら「すごい。昭和46年型ナショナルの『ほかほか』ですよ。」結局、「渡辺昇」はそのこたつを持って帰り、代わりに「私」は新品の電気ごたつ(あるいはタイム・マシーン)を手に入れた。「私」がその後こともなげに再びこたつに入ってみかんを食べるのが面白い(「タイム・マシーン(あるいは幸運としての渡辺昇②)」)。
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