『ハッとしてトリック』2010/06/20

ハッとしてトリック
鯨統一郎『ハッとしてトリック』(中央公論新社、2004年)

昨日、サッカーのワールド・カップの日本対オランダ戦があったばかりだが、本書は2002年あたりのワールド・カップを題材にして書かれている。

タイトルは3点とる「ハットトリック」を連想させるが、犯人はその通り3人の日本人サッカー選手を死に至らしめる。サッカーの試合のように展開は二転三転し、最後の謎解きではなるほどと思った。

ゼロ円で愉しむ極上の京都2010/06/21

『ゼロ円で愉しむ極上の京都』
入江敦彦『ゼロ円で愉しむ極上の京都』(文春新書、2010年)

学生時代に京都にいたことと現在の仕事に京都が関係していることがあって、本書を推薦されて拝読。

一度くらい京都で名が通る旅館で宿を取ろうと思っても、値段が非常に高い。一度くらいは芸妓さんのいるお茶屋へ行ってみたいと思うが、これもはなはだ高価であるようだ。しかも「一見(いちげん)さんお断り」だから誰かに紹介してもらってはじめて入れるのだ。

ことほどさように敷居が高かったりお金がかかったりする京都だが、本書の著者によれば「京都みたいなタダの複合体はどこにも見当たらない」(まえがき 8ページ)という。「私にとって京都の“らしさ”は、タダの流通がことのほか多い―ところである」(まえがき 7ページ)と著者は述べる。価値あるものは相応の負担なしには手に入れられないのが普通だが、予想外にタダで価値あるものが手に入るのが京都なのだという。

ただし、お金がタダだとしても、そこには買う側のその他の負担や作り手、売り手の心意気やもてなしなど値段にはあらわれない部分がある。だからこそタダでいただいたありがたみがあるのだろう。

一方、京都の髪結いの家に生まれた著者は、地元ならではの情報を惜しげもなく本書に載せている。京都はいいものが口コミでしか伝わってこないところだと思っていたが、著者は本書の最初から最後まで地元ならではのネタを盛り込んでいる。私じしんも吉田神社の近くに住んだことがありながら、著者に指摘されるまで、吉田神社で6月30日に「茅の輪潜り(ちのわもぐり)」なるイベントが「夏越の祓い(なごしのはらい)」として毎年行われていたとは知らなかった(「東 『吉田神社』の茅の輪」116-117ページ)。

すでに京都はむし暑くなっているはずだが、暑くてもいいからまた京都を訪ねたいと思った。本書もタダではないが、その値段以上の価値が十分にある本である。

1973年のピンボール2010/06/24

1973年のピンボール
村上春樹『1973年のピンボール』(講談社文庫、2004年)

村上春樹の初期の作品の一つ。20代の青年が主人公で、書いている村上春樹もとても若い印象があった。20代のころの別れや孤独が書かれているが、その書き方が若いのである。深くつきつめて考えた書き方というよりは、感情や印象の描写が中心の書き方だと思った。

ある特定のモノへのこだわりを書いているのも、若さや時代の違いを感じさせた。主人公はあるピンボールの機種にはまり、なくなった後でそれを追い求めるのだが、特定のモノへのこだわりってバブル崩壊以前の話だなあと感じるのだ。この不景気な時代には、特定のモノにこだわっているよりも生きるか死ぬかとか、どうやって明日暮らそうかという切実な問題が目の前にあると私は感じるのだ。

ピンボールはボールを突くゲームだが、パチンコとは違って点数が入るだけでメダルや玉が出てこないゲーム。最近はゲームセンターでもほとんど見ない。温泉街にいったら宿にたまたま置いてあったとかいうレベルか。スマート・ボールならまだ温泉街にあるかもしれないけれど。

『辺境・近境』2010/06/26

辺境・近境
村上春樹『辺境・近境』(新潮文庫、2000年)

村上春樹の旅行記。メキシコの旅行やアメリカの旅行の話も面白かったが、ノモンハンの旅行記と讃岐うどん旅行とが特に面白かった。

村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』にはノモンハン事件に関する部分がある。陸軍の情報担当の将官を含めた数人がソ連軍につかまって拷問を受ける。情報将官は残虐な拷問を受けて死に至るが、つかまった兵隊のうちのもう一人は広大な草原にある井戸の中に放り込まれた。彼だけは奇跡的に戦友に助けられて井戸から抜け出して日本に戻ってこれた。

その『ねじまき鳥クロニクル』での叙述がきっかけで雑誌記事としてノモンハンに旅行に行くこととなる(「ノモンハンの鉄の墓場」)。かつての戦争の跡が、保存の意図なく、ほぼそのままにほったらかされて残っているという話(191-192ページ)は意外だった。また、著者は、広大な草原を、日本軍の兵隊はハイラルからモンゴルの国境地帯まで延々220キロも軍装をして歩き続けたことに思いを致している(195-196ページ)。日本軍に兵站の発想が薄かったこととあわせて、この当時のわが国が非常に貧乏で、兵隊を運ぶ自動車など全く数がたりなかったことを思えば、よくぞまあそんな状態で戦争に臨んだことだと思う。『ねじまき鳥クロニクル』にもあったが、過去の事件がいまのこの現在にまで動きをもたらすという感覚が著者にあり、著者はそのせいか、泊まり先で地震でもないのにものすごい揺れを感じる(227-228ページ)。私自身もノモンハンへ行ってみたいとは思わないが、旅行記として非常に印象的な話だった。

一方、「讃岐・超ディープうどん紀行」は面白かった。私自身も昨年一度香川県に入ってさぬきうどんを食べに行ったことがある。また高校の卒業旅行に出かけたとき宇高連絡船の上でさぬきうどんを食べたこともある。岡山県内で食べた讃岐うどんはコシがあって食べ応えがあり、本場香川でまた食べてみたいと思う。

さて、村上春樹の讃岐うどん紀行で特に印象に残るのは「中村うどん」。他の本でもこの中村うどんのことを読んだことがあるが、単なる製麺工場で少しだけ席があるだけのうどん屋。客が自分でうどんをとって汁を加え、しょうがもお客が自分ですり、お客はお店の外に出て石の上に座ってうどんを食べる。朝9時から畑の中でうどんを食べていると「世の中なんてどうなってもかまうもんか」と思うと村上春樹は書いているが、その光景はなんとなく想像できる。朝からうどんを食べるということ、しかも畑を目の前にして石にすわってうどんを食べているという状況は、世の中の動きと全く無関係だなあと感じてもおかしくない。

夏石鈴子『夏の力道山』2010/06/27

夏石鈴子『夏の力道山』
夏石鈴子『夏の力道山』(筑摩書房、2006年)

インターネットの書評で知った著者の本。インターネットの書評ではこの著者の他の本がお薦めだったのだが、図書館では他の人が借りていて在庫がなかったので本書ほか数冊を借りる。

タイトルの「力道山」はかつてのプロレス選手のことだが、本書はプロレス小説ではない。働く主婦・長谷川豊子の仕事と家庭の話である。豊子が着替えているところを、稼ぎの悪いだんな・明彦がたまたま見た際「力道山みたいだね」と言った(37ページ)のがタイトルになったという訳。

印象に残ったのは、豊子が社長をつとめる小さな事務所で一緒に働く緑という女性のことば。「仕事はね、芸だから。どんな仕事も、そうだから。」「無駄なく正しく仕事を終わらすことは、当たり前。」「いつも、どうしたら一番いいかなって考えるようにするの。」「それから、雇ってくれた人に、損したなって思わせないことも芸だし。」

なるほどね、自分を中心において仕事を考えるのではなく、どうやって能率よく、成果を出せるようにするかを考えたり、雇い主の立場からみたらどうだろうって考えたりするのも大切か、と自覚させられた。