辻仁成『サヨナライツカ』 ― 2010/02/01
辻仁成『サヨナライツカ』(幻冬社文庫、2002年)
主人公は日本の航空会社の営業職員の男性。タイに赴任中に、「運命の女」沓子(とうこ)に出会ってしまう。沓子が独り身なのに大金持ちという設定で現実離れしている感があり、また今日ではJALなどの航空会社がいずれも不景気にあえいでいるのと違い、本書では主人公が航空会社でとんとん拍子に出世するなど時代の差を感じるが、それはさておき、印象に残る作品だった。
タイトルにもあるが、主人公と沓子の2度の「サヨナラ」が考えさせられる。結婚や婚約の相手でない異性との間の心のつながりが印象に残った。自分が死ぬ直前に誰かを愛したことを思い出すか、それとも誰かに愛されたことを思い出すかという話も心に残っている。
主人公は日本の航空会社の営業職員の男性。タイに赴任中に、「運命の女」沓子(とうこ)に出会ってしまう。沓子が独り身なのに大金持ちという設定で現実離れしている感があり、また今日ではJALなどの航空会社がいずれも不景気にあえいでいるのと違い、本書では主人公が航空会社でとんとん拍子に出世するなど時代の差を感じるが、それはさておき、印象に残る作品だった。
タイトルにもあるが、主人公と沓子の2度の「サヨナラ」が考えさせられる。結婚や婚約の相手でない異性との間の心のつながりが印象に残った。自分が死ぬ直前に誰かを愛したことを思い出すか、それとも誰かに愛されたことを思い出すかという話も心に残っている。
TVピープル ― 2010/02/06
村上春樹『TVピープル』(文芸春秋、1990年)
村上春樹の短編集。表題作の「TVピープル」は、日曜の午後に突然TVピープルが主人公の家に現れて、テレビを置きにくる話。テレビを自宅に置かない主義の主人公のところへ、主人公を全く無視して彼らは家に入ってきて、サイドボードの雑誌や時計を勝手におろして、勝手にテレビを置く。その雑誌は主人公の妻が大事にしているもので、主人公が勝手に位置を変えたりすれば、妻が激怒するほどのものなのだが、TVピープルは勝手に雑誌を移動させてしまう。不思議なことに、この一連のことに主人公は何もできないし、妻がこれを見つけても何とも言わない。最初はテレビにはちゃんとした画像が映らずに白い画面が出るだけだったが、そのうちそのテレビにTVピープルがうつるようになり、そしてテレビから抜け出てくる。そして「奥さんはもう帰ってこないよ」と宣告する。まったく不条理なのだが、最後には主人公もTVピープルにさせられてしまったのか、少し縮んでしまう。
村上春樹の他の作品でも、主人公にはまったく理由がわからずに、突然妻が出ていくという場面があった(ねじまき鳥クロニクル)。村上春樹にとって重要なモチーフなのだろう。
「加納クレタ」には加納クレタと加納マルタの姉妹が現れる。この姉妹の話は村上春樹の別の作品にも出てきたように思うが、詳細を思い出せない。眠りたくても1週間以上全く眠れなくなる話「眠り」は、不眠症になった人の気持ちを想像させてくれる。私じしんは、わりとすぐ眠れるのでこの話の主人公のような経験はない。むしろ仕事中の午後に眠くなるのが困るくらいなのである。
村上春樹の短編集。表題作の「TVピープル」は、日曜の午後に突然TVピープルが主人公の家に現れて、テレビを置きにくる話。テレビを自宅に置かない主義の主人公のところへ、主人公を全く無視して彼らは家に入ってきて、サイドボードの雑誌や時計を勝手におろして、勝手にテレビを置く。その雑誌は主人公の妻が大事にしているもので、主人公が勝手に位置を変えたりすれば、妻が激怒するほどのものなのだが、TVピープルは勝手に雑誌を移動させてしまう。不思議なことに、この一連のことに主人公は何もできないし、妻がこれを見つけても何とも言わない。最初はテレビにはちゃんとした画像が映らずに白い画面が出るだけだったが、そのうちそのテレビにTVピープルがうつるようになり、そしてテレビから抜け出てくる。そして「奥さんはもう帰ってこないよ」と宣告する。まったく不条理なのだが、最後には主人公もTVピープルにさせられてしまったのか、少し縮んでしまう。
村上春樹の他の作品でも、主人公にはまったく理由がわからずに、突然妻が出ていくという場面があった(ねじまき鳥クロニクル)。村上春樹にとって重要なモチーフなのだろう。
「加納クレタ」には加納クレタと加納マルタの姉妹が現れる。この姉妹の話は村上春樹の別の作品にも出てきたように思うが、詳細を思い出せない。眠りたくても1週間以上全く眠れなくなる話「眠り」は、不眠症になった人の気持ちを想像させてくれる。私じしんは、わりとすぐ眠れるのでこの話の主人公のような経験はない。むしろ仕事中の午後に眠くなるのが困るくらいなのである。
『通産省と日本の奇跡』 ― 2010/02/16
チャーマーズ・ジョンソン著、矢野俊比古訳『通産省と日本の奇跡』(TBSブリタニカ、1982年)
大学院のとき、行政学の「産業政策」の講座で本書が取りあげられた。再び読んでみて、大変すぐれた著作であることを再認識した。
「今は昔」となるが、かつての高度経済成長の頃、通産省は産業政策を進め、産業構造の改編や重化学工業化をおし進めた。成長すべき産業を「戦略産業」と位置づけて、政府系資金の融通や税制上の優遇、海外技術の導入の援助などを進めてきたのである。新しい産業や経済活動にシフトすべきなのに、事業家たちは必ずしもそうは行動しない。そこで通産省が「戦略産業」にエネルギーと資源を大幅にシフトさせようとするわけである(34ページ)。本書では通産省の産業政策がその時代に突然現れたものではなく、戦時中や戦前などの前史があることや、産業政策を進めた名物官僚のことをえがいている。
今の経済産業省につながる問題点をとりあげている部分もあり興味深い。例えば、経済官庁であるにもかかわらず、専門的な経済学者が幹部にいない点が指摘されている。これは分野は違えど、日本銀行の総裁に経済学の博士号をもった人が就任していないことと似ている。そして、通産省が特定の企業とのつながりが深く、いわゆる天下りが長年続いてきたことも述べられている。また官僚どうしのなわばり争いや政治家と官僚との綱引きなども本書に書かれているが、これも昔と今と変わらない。また、通産省内での官僚の序列(86ページ)も経済産業省でも基本的には変わっていないようである。
大学院のとき、行政学の「産業政策」の講座で本書が取りあげられた。再び読んでみて、大変すぐれた著作であることを再認識した。
「今は昔」となるが、かつての高度経済成長の頃、通産省は産業政策を進め、産業構造の改編や重化学工業化をおし進めた。成長すべき産業を「戦略産業」と位置づけて、政府系資金の融通や税制上の優遇、海外技術の導入の援助などを進めてきたのである。新しい産業や経済活動にシフトすべきなのに、事業家たちは必ずしもそうは行動しない。そこで通産省が「戦略産業」にエネルギーと資源を大幅にシフトさせようとするわけである(34ページ)。本書では通産省の産業政策がその時代に突然現れたものではなく、戦時中や戦前などの前史があることや、産業政策を進めた名物官僚のことをえがいている。
今の経済産業省につながる問題点をとりあげている部分もあり興味深い。例えば、経済官庁であるにもかかわらず、専門的な経済学者が幹部にいない点が指摘されている。これは分野は違えど、日本銀行の総裁に経済学の博士号をもった人が就任していないことと似ている。そして、通産省が特定の企業とのつながりが深く、いわゆる天下りが長年続いてきたことも述べられている。また官僚どうしのなわばり争いや政治家と官僚との綱引きなども本書に書かれているが、これも昔と今と変わらない。また、通産省内での官僚の序列(86ページ)も経済産業省でも基本的には変わっていないようである。
切符をどこにしまうか? ― 2010/02/21
村上春樹著、安西水丸絵『村上朝日堂』(新潮文庫、1987年)
「日刊アルバイトニュース」に連載された村上春樹のエッセー集。村上春樹の個人的なことや若い時のことをつれづれなるままに書きつくっている。
特に面白かったのが、電車の切符の話。村上春樹氏がしょっちゅう切符をなくして困ると書いてあり(「電車とその切符その(1)」)、なくした時に駅の改札わきで切符を探す姿をさらすのが恥ずかしいという話に私も同感だと思った。著者も書いているが、誰かと一緒の時、特に大人の女性と一緒に行動している時に切符をなくすとどうしようもない。
ズボンのどこに入れると決めてもやっぱり切符をなくしてしまう(「電車とその切符その(2)」)ので、村上春樹氏は(1)どんな服装をしても普遍的に存在し(2)出し入れするのに手間がかからず(3)そこに切符を入れたことを決して忘れない場所を考えに考えた(「電車とその切符 その(3)」)。
あなたはどこだと思いますか?
村上春樹氏の答えは、耳。耳の穴の中に切符を折り畳んで入れるというのである!
この発想には驚いた。普通なかなか考えつかない場所である。しかし耳に切符を折り畳んでしまうと、まわりから変な目で見られたり、突然車掌さんが検札にきた時に耳から切符を取り出すと非常に驚かれたりするし、中には汚いと怒る車掌もいるということである(「電車とその切符その(4)」)。
村上春樹氏はそんなこともあって切符を耳の穴にしまうことをやめたそうだが、これを読んで私もやってみたくなった。ちょうど一人で電車に乗る機会があったのでやってみた。ここで気になるのが、最近はどこも機械の改札になってしまったので、折り畳んでしまった切符をいくら広げても改札の機械を通らなくなるかもしれないこと。実際にやってみると、多くの人は気付かないか気付かぬふりをしてくれるが、たまたまそばにすわった人が一人奇異な目で私のことを見ていた。
おもえば休みの日で一人だったから出来たことで、平日にスーツ姿ではさすがにこんなことできないだろう。
「日刊アルバイトニュース」に連載された村上春樹のエッセー集。村上春樹の個人的なことや若い時のことをつれづれなるままに書きつくっている。
特に面白かったのが、電車の切符の話。村上春樹氏がしょっちゅう切符をなくして困ると書いてあり(「電車とその切符その(1)」)、なくした時に駅の改札わきで切符を探す姿をさらすのが恥ずかしいという話に私も同感だと思った。著者も書いているが、誰かと一緒の時、特に大人の女性と一緒に行動している時に切符をなくすとどうしようもない。
ズボンのどこに入れると決めてもやっぱり切符をなくしてしまう(「電車とその切符その(2)」)ので、村上春樹氏は(1)どんな服装をしても普遍的に存在し(2)出し入れするのに手間がかからず(3)そこに切符を入れたことを決して忘れない場所を考えに考えた(「電車とその切符 その(3)」)。
あなたはどこだと思いますか?
村上春樹氏の答えは、耳。耳の穴の中に切符を折り畳んで入れるというのである!
この発想には驚いた。普通なかなか考えつかない場所である。しかし耳に切符を折り畳んでしまうと、まわりから変な目で見られたり、突然車掌さんが検札にきた時に耳から切符を取り出すと非常に驚かれたりするし、中には汚いと怒る車掌もいるということである(「電車とその切符その(4)」)。
村上春樹氏はそんなこともあって切符を耳の穴にしまうことをやめたそうだが、これを読んで私もやってみたくなった。ちょうど一人で電車に乗る機会があったのでやってみた。ここで気になるのが、最近はどこも機械の改札になってしまったので、折り畳んでしまった切符をいくら広げても改札の機械を通らなくなるかもしれないこと。実際にやってみると、多くの人は気付かないか気付かぬふりをしてくれるが、たまたまそばにすわった人が一人奇異な目で私のことを見ていた。
おもえば休みの日で一人だったから出来たことで、平日にスーツ姿ではさすがにこんなことできないだろう。
桃尻語訳 百人一首 ― 2010/02/23
橋本治『新装版 桃尻語訳 百人一首』(海竜社、2009年)
中学2、3年のときの古文の先生が好きになれなかったせいか、このときに習った古文はあまり好きになれなかった。高校で習った古文の先生のおかげでそんなに古典ぎらいにならずに済んだのだが。中学校や高校のころは、どんな先生に習うかでその科目が好きになるかどうかが決まることとなる。別にどんな先生に習おうと、自分に合う科目と合わない科目はあるのだが、まあこの年代は仕方ないのだろう。
そんな中学生のときに百人一首を習った。その先生のせいばかりでもないのだろうが、その当時はどうもこの百人一首に興味がわかなかった。でもいま再びこうして見てみるとなかなか大人向きの「文学」であることがよくわかる。本書では「桃尻語訳」としてあるが、要は現代風の口語体で五七五七七に翻訳してある百人一首。それぞれの歌に作者と歌の内容について説明してある。この説明もよく調べてあってしかもわかりやすい。自分が中学生のときにこのような本にめぐりあえていたら百人一首を好きになれただろうにと思った。
中学2、3年のときの古文の先生が好きになれなかったせいか、このときに習った古文はあまり好きになれなかった。高校で習った古文の先生のおかげでそんなに古典ぎらいにならずに済んだのだが。中学校や高校のころは、どんな先生に習うかでその科目が好きになるかどうかが決まることとなる。別にどんな先生に習おうと、自分に合う科目と合わない科目はあるのだが、まあこの年代は仕方ないのだろう。
そんな中学生のときに百人一首を習った。その先生のせいばかりでもないのだろうが、その当時はどうもこの百人一首に興味がわかなかった。でもいま再びこうして見てみるとなかなか大人向きの「文学」であることがよくわかる。本書では「桃尻語訳」としてあるが、要は現代風の口語体で五七五七七に翻訳してある百人一首。それぞれの歌に作者と歌の内容について説明してある。この説明もよく調べてあってしかもわかりやすい。自分が中学生のときにこのような本にめぐりあえていたら百人一首を好きになれただろうにと思った。
ランゲルハンス島の午後 ― 2010/02/24
村上春樹著、安西水丸絵『ランゲルハンス島の午後』(新潮文庫、1990年)
村上春樹のエッセー集。村上春樹はどうもモラトリアム青年ばかり書くと思っていたら、本書の「BUSY OFFICE」で会社勤めをしたことがないから描けないと述べている。「会社勤めをしたことがないせいで、僕の認識の領域からは会社とかそれに付随する様々な周辺的事物が完全に欠落している」(74ページ)というのである。知らないものは書けないというのはあるだろう。私の中で村上春樹を読むたびにひっかかっていた謎が一つ解けて、納得できた。
それから印象的だったのを一つ。著者がよく泊まる都内のホテルからは、女子高校の正門がすぐ下に見下ろせるという。ホテルで朝食を食べて一服するとちょうどこの女子高の登校時刻になるのだとか。ずっと見ているとベルが鳴って校門が閉じる。意地悪そうな先生が門のわきに立って遅刻した生徒たちの名前を控えて、生徒たちを注意する。ところが、遅刻する生徒の中には、先生の注意がそれたときを逃さずに、隣家の塀にとびつき、それをつたって学校の塀の中に入り込んでしまうという技をみせる生徒もいる。塀の中にとびおりた後、スカートの裾をぱっぱっと払って何食わぬ顔で教室に入るというのだから大物である。著者はこのような女子生徒を見るとこれだけで愉快で1日楽しい気分でいられる(27ページ)ということだが、こんな生徒は今でもいるのだろうか。一度みてみたい気もする。
村上春樹のエッセー集。村上春樹はどうもモラトリアム青年ばかり書くと思っていたら、本書の「BUSY OFFICE」で会社勤めをしたことがないから描けないと述べている。「会社勤めをしたことがないせいで、僕の認識の領域からは会社とかそれに付随する様々な周辺的事物が完全に欠落している」(74ページ)というのである。知らないものは書けないというのはあるだろう。私の中で村上春樹を読むたびにひっかかっていた謎が一つ解けて、納得できた。
それから印象的だったのを一つ。著者がよく泊まる都内のホテルからは、女子高校の正門がすぐ下に見下ろせるという。ホテルで朝食を食べて一服するとちょうどこの女子高の登校時刻になるのだとか。ずっと見ているとベルが鳴って校門が閉じる。意地悪そうな先生が門のわきに立って遅刻した生徒たちの名前を控えて、生徒たちを注意する。ところが、遅刻する生徒の中には、先生の注意がそれたときを逃さずに、隣家の塀にとびつき、それをつたって学校の塀の中に入り込んでしまうという技をみせる生徒もいる。塀の中にとびおりた後、スカートの裾をぱっぱっと払って何食わぬ顔で教室に入るというのだから大物である。著者はこのような女子生徒を見るとこれだけで愉快で1日楽しい気分でいられる(27ページ)ということだが、こんな生徒は今でもいるのだろうか。一度みてみたい気もする。
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